前回のブログ、「ツイッター1、2」を読んでから、今回の続き「3、4」を読むことをお勧めします。
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<伝言>
前掲「朝日新聞 メディア激変 変化を読む1」にあるコピーライターの糸井重里さんの『「泡」のような言葉を書く』を読んで、「ああ、やっぱりな」と思いました。
そして、糸井さんと横尾さんのツイッターをちょいちょい読んでみたのです。
う~ん、流石に横尾さんのツイッターはすごい。
ちょっとやそっとでは、真似ができないでしょう。
これに触発されて糸井さんも書いておられるのだが、一世を風靡したコピーライターとはいえ、容易に近づけない領域ですね。
これはお互い何十年と続けてきた職業と大いに関係があると思われます。
コピーライターという仕事は、次々と依頼される広告のコピーを書くわけですが、商品の情報を少しでも多く吸収し、それを訴求するため言葉と情報のパッチを紡ぐようにして、そこから見える新しい切り口を自分の感性による言葉に代えて、あるいは言葉を生んでいく「製文業」と言えるでしょう。
ですから、糸井さんがツイッターに向かうとき、常にまだ紡ぐ前の状態、単なる材料を並べている状態でしかあり得ないので、未だ可能性を見いだすことができていないのだと思います。
これは、私も文章を書こうとするとき、昔の癖で全く同じ状態であるので、ツイッターという道具は、どうも使いこなせそうもないなと思ってしまうのです。
そうかといって、一般に使用されているような「今いる場所や食べたものについて書いたり、他人の言葉を伝言ゲームのように回したりする使い方」では、時間つぶしにしかならないようで・・・・。
どうも感じるところ、横尾さんの思考形態と、私や糸井さん(一緒にすると糸井さんにしかられそうですが・・・)の思考方法には大きな違いがあるようです。
自分の思考をたどってみると、膨大な情報ピースに、更に桁外れの順列・組み合わせを無意識のうちに行っているようです。
その今までになかった組み合わせの中に、新しい切り口や新発見があります。膨大な情報ピースというのは、元極功法をするようになって飛躍的に増えたと思います。
宇宙の道(タオ)に括(くく)られた宇宙を構成するあらゆるピースが、混沌状態の中に存在します。そのピースの新たなる組み合わせが生む発展とルールは、次元上昇へと続きます。
横尾さんはご自分の肉体を通して発露させる芸術と共に、その活動の軌跡に、思考と思索の軌跡が確立されてきています。
今、彼がツイッターで吐き出す言葉は、そのとき思いついたことではなく、既に十分考え抜かれてきた思考の凝縮のようなものだと言えます。
これを並の者どもが、まねようとしても真似できるものではありません。
糸井さんを並の者と言っているのではありません。
糸井さんは明らかに思考形態が違うが故に同じことができないのです。
やはり、私にはツイッターは向かないようです。
<「ツイッター3、4> 2010年 8月5日、6日>