私は無形の肉体を観る練習をしています。「相手と繋がる」と思い、注意深く観察することで、かすかに感じることがあります。 感じ方には様々な方法があります。 オーラとして視覚的に感じる、または相手の肉体の様子を自分の肉体に反映し感じるという方法もあります。無形の肉体について黄帝と増田庸文老師はどのように語られているのか、前回に続き、その深い洞察をご紹介いたします。

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2013年8月16日、2013年8月17日

黄帝が、中焦の形と場所を教えて下さいました。
あなた方が、今、痛いと言っている、その場所が中焦の場所です。
その場所を知らせています。
(横隔膜のすぐ下、膏肓のあたりが痛い)
今日は右側、先日は左側が、痛かったと思います。
このように、中焦を中心にして、楕円形のような形ではなく、
中心部は細くて、横に拡がっている細長い蝶の羽のような、蜂の羽のような、
そういう形を思い浮かべてください。
これが中焦です。
中丹田を中心にして、横に拡がって、背中を通じて臍で小さくなっている。
それが中焦の形です。
なぜ、このようになっているのかというと、全身に気を送るためです。
まるで、細いところから全身に行き渡るために、
中丹田にすべての中焦の気のエネルギーが集約されています。 
そこから、命門と中丹田と心包絡、
三つの三角点を起点として、気が循環しているということです。
その気の循環がなされている、三角形の頂点が気を押し出しています。
その気を押し出したときに、気が全身に拡がるときに、
衛気も充実していく。
そういうタイミングがあります。
黄帝にお聞きしてみました。
心包絡は営気の方を送り出して、中丹田、命門は衛気の方を送り出すのですか??
貴男が悟った通りです。
つまりは心包絡からは、より肉体に関連するような営気を送り出し、
中丹田と命門は、より無形の肉体を司るような、衛気を送る役割をしています。
そんな役割を持った三角形ができます。
従って衛気の起点は、中丹田です。
「黄帝内経」の中で述べている、
衛気が「皮膚の下」を通っているという表現は、
曖昧でわかりにくいと思いますが、無形の肉体が有形の肉体に重なっている、
そういう表現であって、皮膚のすれすれの所を覆うかのように、
皮膚の下というよりは寧ろ、皮膚の上に衛気が重なって、
外界から肉体を無形の気で覆って守っているというような事が言えます。
皮膚の下という表現しかすることが出来なかった。
その当時は分からなかったのです。
多くの敏感な者たちが衛気の存在、
すなわち人の身体の表面を覆うオーラのような存在を感じて、
そのような表現に仕立て上げたわけです。 
様々なようすに見える衛気を、皮膚の下というようにしか、
表現出来なかったのです。
貴男が思っているように、やはり有形の肉体の外側に見えるような、
有形の肉体から放たれている気であると、
解釈しても何ら問題は無いのです。
正しくは、有形の肉体から放たれているのではなく、
無形の肉体が有形の肉体と重なっていると表現した方が良いのです。
無形の肉体の気が充実してくれば有形の肉体を遙かに超えたような大きさになって、有形の肉体からエネルギーが迸(ほとばし)り出るような、
そういう感覚を持つようになります。
あなた方のオーラが何層も有ると、敏感な修練者が表現しているように、
肉体から気のエネルギーが出ていると、多くの者たちは受け取るでしょう。
しかし、厳密に言うならば、有形の肉体と無形の肉体とは重なっていて、
それぞれ連動しつつも、別個のものであるといえます。