先延ばしにしてしまう悪癖があります。ギリギリ間に合えば良いという甘い考えなのですが、昔よりは少しずつ早めに取り掛かれるようになってきています。これからも階フタ修練で与えられる「解放する力」に助けられながら、悪癖を手放していきたいと思います。増田庸文老師のブログより、2回目をご紹介いたします。
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2014年10月15日
2)解放する力
抜き足、差し足、忍び足。足を洗う力です。
この力を使おうと思って、自分のことを改める気持ちのある者には有効に働きます。
ただし「力」を貰っても、改めようと努力しない者には、全く無効です。
自分自身にある囚われの感情を変えようと努力しても、生育歴などの因により、なかなか難しい者に対して、この功法を学ぶ者に、そこから脱する「力」を与えます。
囚われから解放する力というのは、「階フタ」静功・按摩法を修練することで、大きく自身に働きかけることになります。
もちろん「階ヒト」高級講座で「みのい きのいを ぬぎすてる」という修練も自分の欲を脱ぎ捨てるということで、この力に通じるものではあります。
「階フタ」で与える「解放する力」というのは、「欲ではない囚われ」から解放するということが出来るのです。
几帳面な性格、クヨクヨして悔やんでしまう性格、マイナスのことから脱却すべく何かをしなければ気が済まないという悪癖。
飲酒、喫煙、くせのようなモノから抜け出すような力を与えます。
前述の「階ヒト」高級講座と階フタの「解放する力」との明確な線引きは出来ないでしょう。
マイナスのこと、悪い習慣で本人が否応なく陥ってしまう事柄があります。
それは主に幼少時の貧しさや育てられ方に起因している事が往々にしてあります。
その過去の体験の被害者として、本人が陥っている事柄から「解放する力」を与えます。
自らが望んで修練すれば、精神的なプラスの面を付加されるのです。
一つ具体的に例を挙げましょう。
たばこの習慣は、その「解放する力」が作用する囚われの中に入るかどうかを考えれば・・・・。範疇に入る場合も、入らない場合もあります。喫煙習慣のある者の「精神力の弱さ」「依存的な傾向」、それは本人が断ち切らなければ、いけないことです。
本人の断ち切る力が充分に育っていない場合もあるし、欲で吸っているだけではなく、自己の甘さ、弱さで止めたいと願いながら、吸い続けている場合もあります。
そういう場合には内面の強さを育てて、禁煙の決断を手助けする必要もあります。自己への甘さの克服という意味では、「階ヒト」高級講座と重なる点もあります。
要は、その者が本当に自分の成長を願い、自らの悪癖を絶ちたいと考えているかにあります。
今まで「解放する力 」と説明してきたことは、「成長する力」と説明した方が適切なのかも知れません。
心を成長させるということは、この元極功法の特徴的な修練過程の結果としてもたらされるものでした。修練によって邪気や末性が取れれば、素直な心によみがえっていくからです。
素直な心になったときに充分な愛情が注がれず、その心が育まれることなく成長してしまった者達がいます。
全く愛情が不足しているのです。
育っていない、成長していない精神の部分に愛情を注ぎ込んで心を強くして、その結果、悪習慣を絶ちきる強い心を築いて行こうというのが、「階フタ」の段階の「解放する力」「成長を手助けする力」です。
汚れ、穢れがとれて、素直な心になっても、充分に愛情という栄養が行き届いてなくて、成長しようとしても成長できない者達に対する救済の処置です。
自分で確固たる意志を持って、きちんと生きる者達が、欲を脱ぎ捨てる「階ヒト」高級講座で与える力とは、少し異なる訳です。
この場合でも、努力すること、自分が求めること、自分の姿、弱さを認識して成長しようとすることなど、個々人の意志が、その方向性を決定する点については今までと変わりはありません。
「求めて、努力する者には与えられる力」なのです。
この「解放する力」「成長する力」は、太一道開祖「簫抱珍(しょうほうちん)」よりの贈り物です。折角頂いた素晴らしい力を、常に意識して、埋もれさしてしまわないように、上手にお使い下さい。