秋が始まり、高山ではハサ干し(天日干し)の風景が広がっています。天日で乾燥されたハサ干しのお米は、ピカピカ光り、とても美味しいです。お米と一緒に、日(太陽)のエネルギーを食べているからでしょう。元極功法は、食べる量が減っても生きられることを可能にする功法です。食事の質と量について、増田 庸文老師のブログよりご紹介します。

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2009年1月4日、2009年1月5日<気功講義>

30年ほど前、仕事で取引のあった米国人のマネージャーが、次のように言ったことがありました。「我々アメリカ人は喰うために働いているが、日本人は働くために喰っている。」
 もちろん彼は、当時の日本人の生活を茶化して言ったものですが、この頃の日本人の生き方が悪かったとは思いません。その後の日本は、彼の言うような生活態度に近づくように変遷してきましたが、その道はますます欲望の増大していく無間地獄に堕ちていくようなものです。自らの正しい生き方、働き方をもって、社会、世界、通じては宇宙に少しでも貢献できるよう、喰って生きながらえていく事は、むしろ推奨されるべき事です。
「喰うために生きるのではなく、正しい生き方をするために喰う。」のです。

 しかし先進国では飽食の限りを尽くし、もったいなくも食い物の多くを残して捨てている一方、世界の中では餓死していく人々が少なからずいる現実があります。うまく分け合えば、十分世界中の人々が足りるだけの食料があるにもかかわらずの現状です。

 いずれ近々、食料を全世界で融通し合ったとしても足りなくなるときが来るでしょう。正しい生き方をしようにも、喰えずに死んでいく人々が出てきます。そのようなときにも困らない為に、食べる量が減っても生きられる様にしておけば良いのです。元極功法は、それを可能にする功法です。

 本来、人は少量の雑穀と野菜で生きられる様に創られています。しかし、文化が芽生え、生活が豊かになってくると、いろいろな物を楽しんで食べる様になってきました。一日何カロリー必要で、何が何グラム、何を何グラム以上取りましょうと、提唱する現代栄養学は、自分たちの欲望を取り繕う言い訳に過ぎません。有形な物だけでエネルギーを取り入れるという風に限定して言えば、正しいと言えるかもしれません。人が、人の能力をきちんと発揮して生活すれば、目に見えない形を取って、エネルギーを体内に取り入れられる訳で、そうすれば有形で取り入れる量を減らすことが出来るのです。

人類は今まで石炭、石油、原子力などの有形なエネルギーを主に使用してきました。一方、太陽電池の様に無形のエネルギーを変換して使用することも可能ではありませんか。それと同じようなことを人体でもやるだけの話です。世界中には多くのエネルギーを体内に取り入れる功法がありますが、食べる量を減らすことの出来るまでのエネルギーを取り入れられる功法は数えるほども存在しません。

 日之本元極功法は、12段階の功法の内、「階ム」「階ヒト」「階フタ」「階ミ」の4段階を公開していますが、その内の3段階のそれぞれで既に無形のエネルギーの取り入れで食事量を減らすことが出来ます。「階ヒト」教科書の「食事について」で、その前段階として現れる『飲食の自然なる取捨選択』について少し述べてあります。功が進めば個人差はありますが、いずれ波動の荒い動物性の食料は取らなくなるか、取れなくなってきます。その後、

「階ヒト」を終了し、修練量が足りていれば、通常の約1/2
「階フタ」を終了し、修練量が足りていれば、通常の約1/3
「階ミ」を終了し、修練量が足りていれば、通常の約1/4

の摂取総カロリー量で食事は足りる様になります。これらのことが起きてきても、食事を無理に減らしたり、精進料理に限定することはありません。食べられるだけを食べられる様に無理なく就餐(しゆうさん)すれば良いのです。総量を調整してバランスよく減らします。偏るべきではありません。あれもこれも食べる必要はありませんが、いろんなものを少しずつ食べると、必要な食品が必要なだけ食べられます。

 無理をして、食べる楽しみまで削ることはありません。しかし、すべてを食べ尽くしても、更に増殖し続けようとする現代人の食欲の影で、我々だけでも今後どんな事が起きようとも、きちんと対応できるよう、自らの肉体を進化させておく必要がありそうです。

日之本元極 亀仙人