増田庸文老師は、場を祓い清めるため、斎場御嶽を訪問されました。生きていた時の強い意思や、思いがけずに起きた事柄によって残された無念の気持ちが邪気となり、その場にしがみつくようにたまっていたそうです。ブログ後半では、どのように祓い清められたか、また想念を祓う理由についてご紹介いたします。
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2009年9月23日
神は続けます。
これをきっかけとして、全国の晴れない思いを晴らしていきたいと思います。
貴方が、今考えている「思索・想念が、邪気としてたまるのであれば、『清める』という強い意志を持って歩けば、末性は、清められるのではないか?」という事、まったく、その通りです。
あなたに、この沖縄の地に来てもらった意味は、まさにそのために来てもらったのです。
一度も尋ねたことのない沖縄の地に来てくれました。この地を今後は、本当に晴れ渡る地にしてください。
これからのことを考えて、今を精算します。今を精算するということは、過去現在、未来にかけて精算をするということになります。これから起きることも瞬時に精算するということです。その場にしがみついているような邪気を残さないで祓う。「全ては葬られる」そのことを開始します。
今後は、夥(おびただ)しい数の生、死にかかわる事柄が起きてきます。にもかかわらず、意志・想念がこびりついていては前に進みません、過去・現在・未来にかけての祓い清めが始まります。