霊符、呪符は書く者の想念の強さによって効果や働きが変わってくるそうです。増田庸文老師のブログより、前回の続きをご紹介します。
2009年8月3日、2009年8月11日
陰陽道で有名な「安倍晴明」の神のお話しはつづきます。
現在、霊符について研究している者達について
彼らの殆どは、単なる意識の収集家、紹介者です。
多くの事柄を学び、それを紹介する役割を十分に果たしている者も居ます。
しかし、彼らに、力があろうはずもなく、彼ら自身にも、自らが力を発揮している等と思うそんな気持ちは持ちようもないでしょう。そこのところは、有る程度、この道をまじめに進もうとするものには判ることです。
問題は、何も分からず自分にも出来ると思う輩(やから)達です。
さて、霊符、呪符などと呼ばれるものは、どのように働くのか、これについて話しましょう。
札には、込められた想念が働きます。札に込められた想念が、働くときには、その想念に力が無ければ出来ません。
宗教、団体、宗派、色々やり方、書き方が種々有るなれど、それら手法には、効果、働きの強さなどは、何も関係がありません。書き物の形も関係が無く、何を書くかも関係が無く、書く為の作法や、どの宗教、団体に属しているかも、全く関係がありません。
その想念に力が有る無しに関わって、想念がどう働くかも、札に込められた、書いたことに込められた想念、その想念の強さが全てを決定します。
御札、霊符、呪符、護符などの道理が、全て書く者の想念に寄ることはここまででお話ししました。
もちろん、想念を込めて書くことは、言葉にも通じます。
その言葉を現そうとする想念こそが、言霊という力なのです。
御札に功力があるとされるのは、書く力、言霊の発する力が、実現させようとする想念が神界に届き、神界で実現されて、願いが叶うことが、その札に込められているからです。
その想念の力が強ければ強いほど、想念を持つ者の力が強ければ強いほど、結果は実現する事となります。
思ったことが実現する力、日之本元極の功法と同じ事が、その札で行われているということです。
その札に託す思い、その思いの強さ、その者の力によって、札の力は、左右されることになります。
(つづく)