ツイッターのシンボルの青い鳥がある日突然『X』となり、この表記の変更にショックを受けている方も多いのではないでしょうか。15年前にアメリカで始まったツイートから遅れること2年、日本でのサービスが始まりましたが、そのツイートが使われ出した頃の考察です。

<伝言>

ずいぶん前、まだツイッターがこんなに一般的になる前に、スタッフの一人に「たぶん、このツイッターなるモノはいずれ流行るようになるだろうから、少し研究しておいて下さい」と言ったことがあります。

そして流行り始めた頃から、実際に使われているのを見て、どうも違和感を覚えていました。

自分の今している事、見ている事を、あまり頭の中でフィルタリングする事もなく呟いている。何か違うだろう、この思いがずっとありました。

みんな、こんな事で良いのだろうか?

そうしたら、同じように考えていた人がいたのです。ある新聞に、コピーライターの糸井重里さんの事が載っていたのです。私は、専門はエレクトロニクスだったのですが、どういう訳か30歳くらいの時に半年ほど会社から「コピーライター養成講座」に行かされて、暫く広告を作っていた事がありました。たぶん、思考手順が非常に近い(質の問題は別として・・・)のではないかと思われるのです。

「朝日新聞 メディア激変 変化を読む1」を転載します。

「泡」のような言葉を書く
コピーライターの糸井重里さん(61)は、5月10日に「@itoi_shigesato」という登録名でツィッターの発信を始めた。
「ブログを書いている友人が次々ツイッターに移ったので、始めはその近況を知るために読んでいた。」
商品やブランドのメッセージが正しく消費者に伝わるように言葉を考え抜く、広告のコミュニケーション。糸井さんは、80年代を代表する「おいしい生活。」(西武百貨店)など、数々のコピーで知られる。
インターネットのブームから少し間をおいた98年、自らのメディアとしてサイト「ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)」を開設。以来、このネットメディアを舞台にコラムを書き続けている。
ツイッターの発信は「つぶやき」とも言われる。この表現は、コミュニケーションできない「ひとりごと」のように思え、違和感を覚えた。

今いる場所や食べたものについて書いたり、他人の言葉を伝言ゲームのように回したりする使い方も、あまり共感できなかった。
「言葉は頭や内臓といった、肉体を経過したものじゃなくちゃ」
考えが変わったのは、芸術家の横尾忠則さん(74)が今年3月末に始めたツイッター(@tadanoriyokoo)で、芸術や人生について奔放に語るのを見てから。
「形にとらわれず、自分の思考をそのままメモしているのに驚いた。こういう使い方があるのかと思いましたね」
「ほぼ日」のコラムでは、まとまった形で言葉を組み立てるが、ツイッターなら短く心に浮かんだ「泡」のような考えを書いていける。
「起承転結の”起”の部分みたいなもの。短歌で言えば発句ですね」
まだ結論の出ない考えを世間に放り出す。その反応を受けながら、これからどうなっていくのか、自分の内部を探っていく。ゲームのようだと感じている。
「日本中ではあっちこっちでカエルの声が聞こえているだろうな」、ある夜中、ふと、そんな事を思いつく。
ツイッターに書き込んでみた。
「今聞こえてますよ」すぐに全国各地から反応があり、まるでカエルの輪唱のように次々と投稿が流れていく。頭の中にあったイメージが、リアルに感じられた事がうれしかった。今や、「軽い中毒症状」だという。

「でも、ツイッターでできることには、まだ大した深みがあるとは思っていない」
言ってみれば、自分とのつながりのある言葉の「単品」を、次々と出している状態。
「こうしてまかれた情報と情報を、どうつないでいくか。それが重要になるんでしょうね」

<「ツイッター1、2」 2010年8月3日、4日>

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この記事を読んで納得したこと、そしてなぜ横尾さんのツイッターはすごいのか、次回のブログへ続きます。